新年度。新たな気持ちを加えつつ、変わらぬ気持ちで香港について書いていきたいと思います。
年度末には、しばしの台湾旅行など。
こちらに写真をあげていますので、よかったらご覧ください。
さて。
一番利用していたミニバスのバス停がこの前にあること、近くにかかりつけのクリニックがあったこと、日常的な用事もあったことなどなどで、北角エリア・炮台山(Fortress Hill /フォートレスヒル)站近くの皇都戲院周辺は良く歩き回っていました。
皇都戲院(State Theatre)は、前身の璇宮戲院が57年間の営業を終えた後、改修を経て開業した由緒ある劇場で、1300席を超える客席数という結構な規模だったそう。70年代には17歳だったテレサ・テンの公演が行われたり数々の名舞台の歴史を刻んでいましたが、1997年の返還前に閉鎖されてしまいました。

路面の美心でパンを買い、その横の青果店でリンゴやオレンジを買う、そんな普段使いの店が入っていた建物がそんな有名な劇場だったことを知ったのは、恥ずかしながら昨年2016年のことでした。
なんで気がつかなかったんだろう、古いビルだとは思っていたけれど、見た目に趣なんて感じなかったし…。
そんな話を香港の友人にしたところ「天龍會って覚えてる?ビリヤードの。当時はあの看板で覆われていたよ。看板を外したら価値のあるレリーフが出てきて、独特な劇場の屋根の梁がはっきりと見えるようになったんだよ」と。
そうだったんだ。商業的な理由で歴史的な価値が覆われていたんだ。
取り壊し or 保存の議論が起きたことで、今さらながら存在とその存在価値を知ることができました。すぐ近くに生活拠点がありながら、それら諸々を知らなかったことは不勉強で恥ずかしいけれど、知らないままでいるよりはよっぽどいい。
知るきっかけをいただいた以上は行ってみなくては!!!
冒頭に述べたように、場所としては勝手知ったるところ。でも、その中に入ったことはありません。入っていいのかどうかも知りません。
青果店の店主さんが世代交代していることを確認して、さりげなく側面の入口から建物の中へ……
通路が薄暗くちょっと緊張が走りますが、なんのことはない、建物内にもいくつかの商店や業者があり、そのお客さんと思われる人がたたずんでいるのが見えました。

そうなると俄然勇気がでちゃうお調子者なので、歩く歩く。
お仕事中の業者さんの迷惑になりそうなところ以外は通らせていただきました。看板や文字の切り出しなどの業者が目につきます。そういう職人さんが集まるところだったのでしょう。


現役でお仕事をされているところには明るく光りが灯っています。

廃業してしまったのかな。鐵閘が閉じられた工房の前には、ベッドマットと一緒に大きなネオン文字が廃棄されていました。


なんという文字なのかはわからないけれど、間違いなく繁体字。持って帰りたい衝動に駆られました。
靴屋さんも多く見られました。閉店してしまった店の向こうには、営業中の靴店が。

一部通路の天井ははがれたままなのか後付けなのか、配管パイプがむき出しになっていました。

別のところにはパイプの奥に2階にあった店の店名看板も。

ぐるぐると細い通路を歩き回り、建物の1階(日本語の1階ね)の現状はわかりましたが、まだ何ひとつ劇場のなごりは見つけられていません。
しかし、一度外に出てから改めて英皇道の角の通路から入ったところに、おそらく劇場だった当時のままのもの思われるものがありました!
観音開きの二重の扉。
扉と扉の間は商品在庫の置き場になっていて雑然ごちゃごちゃ。脇には眼鏡屋さんの商品看板が置かれ、その扉には大きな傷も付いていますが、でも、きっとそれは、その先に広がる華やかな舞台への期待感でワクワクしながら押し開けたものだったはずーーー


現在 扉の先は舞台ではなく商店や商店跡が続く通路になっていますが、そこを通って横の通路から外に出ると、また別の劇場の名残が。

どーん!と置かれたリサイクル用の紙資源をよけて通ろうとして見逃しそうになり、おっとっとと後戻りしてみたら。
扉の形、書かれた文字から察するに、これはきっと通用口や搬入口…。
ということは、スター様の入り待ち出待ちで、たくさんのファンがここに群がったのでは…。想像が広がります。
この皇都戲院は建築的な価値だけでなく、芸術面でも注目されています。それは先に述べたように、広告看板を外したことで姿を現した壁の大きなレリーフ。中国出身で後にハワイへ移住した著名な画家・梅與天が手がけた『蟬迷董卓』というタイトルの彫刻作品です。皇都戲院の前身の璇宮戲院の開業時に制作され、これだけの大きな作品は大変貴重とのこと。

長らく覆っていたこともあって保存状態は悪く、遠目にも劣化した状態なのが見て取れます。まだらになってしまっていることもあって、絵心皆無の私にはどこが董卓なのか顔の位置も理解できず、また想像を働かせることもできず、何も感想が述べられないのが残念です。
もうひとつ、屋根の上に見えるアーチ型の柱は、1920年代にゴシック形式の聖堂などに用いられたフライング・バットレス(飛梁)というものだそうで、屋根の梁を外に出して支えている工法……と解釈したのですがあっているかな?? とにかくアジアでは珍しい建築法であり、香港では唯一のものです。


この皇都戲院の北側には12階分の住居部分が併設されていて、「幼少のころ、ここに住んでいました」と、何かのテレビ番組でアグネス・チャンが言っていた記憶が鮮明に残っています。
住居部分にはエレベーターがありましたが、上階それぞれが旧劇場に繋がっているかどうかもわからないため勝手な進入は控えました。興味はありますが、失礼はしちゃいけないですもんね。いつの日か知り合いができて見せていただく機会が来ると良いな、と夢を抱いておくことにします。

2016年12月の検討会で、この皇都戯院を一級歴史建築に認定にするかどうかが審議され、その後1ヶ月間 公聴会や住民への聞き取り調査なども行われました。
その結果、2017年3月9日に、香港の歴史的な建築物を管理する古物諮詢委員會により皇都戲院は一級歷史建築とするにふさわしいと確認されました。
住民や商店の人たちにとっては、これによって不便を感じることも出てきてしまうでしょうけれど、「取り壊しではなく保存」という道へ大きく動き出したことが、多くの人に良きこととなりますように。
灣仔の藍屋のように何らかのプロジェクトが動いて、街に馴染み、人に馴染むところとなるといいですね。知らなかったことをこうしてチラリ見て来ただけで急にがっついたことを言って恥ずかしいのですが、そんなことを心から願っています。

これまでの皇都戲院の歴史などをまとめた報告書が上がっているのですが、PDFのためリンクが貼れません。htmlにすると写真が表示できないし…。
興味のある方は、
『舊皇都戲院文物價值評估報告 - Walk in Hong Kong』でぜひ検索してみてください。
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