※ご注意
東日本大震災について触れています。
写真もありますので、ご覧になりたくない方はスクロールしないでください。前夜は午前0時半にホテルにたどり着き、なんだかんだで午前2時就寝。そして、5時半起床。うう、しんどい。
でも、
ウルグアイ戦のチケットを取るより先に参加を決めていたものがあるので、早起きは当然のこと。もわもわした頭をシャワーでたたき起こし、身支度を調え仙台駅の待ち合わせ場所へと向かいました。
この日参加したのは「東北に1mmでも近づき隊」というスタディーツアー。
ちょんまげ+甲冑姿の日本代表サポーターの姿をテレビなどでご覧になったことがある方も多いはず。これは、そのちょんまげ隊長ツンさんが主宰されている東日本大震災被災地支援の活動のひとつです。
『被災地に行く=体を使って何かをしなくてはいけない』という思い込みがあって、今まで具体的な行動を取れずにいましたが、「現地を知ることも大切な役割のひとつ」という言葉に目から鱗が落ち、それなら今すぐにでもできる、と参加した次第です。
津波によって気仙沼市街地の鹿折地区まで打ち上げられた第十八共徳丸。すでに取り壊しが決まっています。船の下には車が一台押しつぶされていました。車であることはわかりますが、その姿はもうめちゃめちゃです。
すぐそばには鹿折中学校の方が育てたひまわりが花を咲かせていました。

市街地ですから、船の周辺は住宅の基礎が無数に広がっています。家というのは基礎だけになっても構造がわかるものなのですね。
ここはリビングだよね、バスルームとトイレ、玄関がふたつあるから二世帯住宅かな。確かに営まれていた生活を思うと胸が詰まります。

これは気仙沼線 大家海岸駅ホーム跡。
Wikipediaの「大谷海岸駅」に駅舎があったころの写真があります。
その写真と見比べると、ホームに書かれたこの文字をこんな風に撮ることができるようになってしまったことがどういうことなのかがわかります。

南三陸町の伊里前福幸商店街です。仮設の建物に大漁旗を掲げた商店街としてメディアでも紹介されていましたが、漁師さんたちの生活が戻るにつれ大漁旗は持ち主へと返却されていきました。空いてしまったのぼり竿に何か別の旗を、と言う呼びかけに応じたのがJリーグでした。

各チームの旗が海風にはためいています。野球の楽天の旗もありますね。
津波に流されてしまったこの町のポストが昨年末に西表島で見つかり、8月上旬に日本郵便を経由して返却されました。そのポストを見ることができました。

どういう潮の流れなのか、そんな長旅だったにも関わらず原型を留めていることに驚きました。
南三陸町の防災対策庁舎。防災無線で非難を呼びかけ続けて亡くなった24歳の女性をはじめ、42人もの方が犠牲になってしまったこの建物も撤去が決まっています。すべての鉄骨が海から陸の方向に折れ曲がっています。水の力の無慈悲さを見せつけられて何も言うことができませんでした。

石巻の大川小学校にあった石標です。

「地球上の位置」が示していた場所が、74名の児童10名の教職員と共になくなってしまいました。なぎ倒された石標の向こうには津波によって無残に破壊された校舎が残されています。直前まで小さな笑顔があふれていたであろうことを思うと、そこへカメラを向けることはできなかったです。
津波による被害は計り知れないもので爪痕はまだ濃く残っているけれど、少しずつ復旧もしている、そういう前向きな姿もちゃんと伝えてくださいね、とツンさんはおっしゃっていました。
女川の町いちばんの高台にありなら、17メートルもの津波によって一階部分が破壊された女川町立病院の前からやっと撮った海はとても穏やかで、湾には漁船が何艘も停泊していました。

車中では石巻と女川で被災された方の体験談もうかがいました。必死にこらえましたが、心は大号泣でした。整理された報道の言葉より、とつとつと語られる言葉はダイレクトに刺さります。
一日で知るには限界があり、これがすべてでは無いことは承知していますが、「足を運び、見て知ったことを話して次の人へバトンをつないでいくことも被災地支援のひとつ」というツンさんの考え方にふれ、震災に対して「何かをする」という焦りが少し楽になったことは事実です。
体験談を語ってくださった方のおっしゃった、「自分たちの世代では『復旧』までしかできないだろう、本当の意味で『復興』させるのは次世代、子どもたちの世代だ」という言葉が強く心に残っています。事実を広く伝えていくことは、そういう意味でも大事なのだと。
現状に直に触れるわけですから、きついだろうな…と覚悟していましたが、正直目の当たりにするひとつひとつが本当につらかったです。でも、それが事実ですからなかったことにはできない、つらい現実だけれど伝えていかなくてはいけないことだということを教えていただきました。
福島の原発事故が現在進行形なので(というか、さらに悪化している)そちらに目を奪われてしまうのは仕方のない部分もあるけれど、一方で津波被害もまだこういう状況です、ということが下手ながらお伝えできていたらいいなと思います。